伊勢木綿
着物地、手ぬぐい、ハンカチ
伊勢木綿とは
伊勢神宮の神領で今も神様の衣を織る、機殿神社(成立 垂仁天皇25年)周辺の櫛田川下流の右岸は古代紡績の中心地で、江戸期になり、ここで織継がれてきた木綿を伊勢商人が江戸へ持ち込み伊勢木綿と称して販売したのが始まり、産地では今も現役で動く100年ほど前の小巾の自動織機で一日一反(13m)ゆっくり織られた反物は最高の肌触りと古布のような素朴な風合いがあり、ゆっくり織られた生地はシワになりにくく、洗ううちに肌触りがとても良くなり、使うほど風合いが増していきます。
産地:三重県伊勢平野
伊勢平野は宮川、櫛田川、鈴鹿川、木曽三川が伊勢湾へ流れ込む伊勢湾に沿った堆積平野で、三重県の人口の大半がここに集中し、四日市、津市、伊勢などの都市が集まり、気候も温和で平均気温は14〜16℃、年間降水量は1700mm程度で積雪は少ない。
伊勢神宮の成立時に五十鈴川のほとりに建てられた機殿が伊勢湾に面した宮川と櫛田川の堆積平野へ移され、周辺に絹と麻を織る技術集団が住み古代紡績の中心地となりました。文禄三年に中国・明より大和へ移植され根付いた綿が伊勢へ伝わり、平和が続く江戸時代になると綿は急速に普及し、伊勢湾沿いに松阪、香良洲、米津、白子、神戸と北方へ拡大しました。
櫛田川の右岸では今も伊勢神宮の神服織機殿神社と神麻続機殿神社が鎮座し、神御衣祭を控えた5月と10月に神宮から神職が参向し、それぞれの八尋殿で奉織が行われます。奉織の前後には神御衣奉織始祭、神御衣奉織鎮謝祭が行われ、この地域の神領民は今も機織の奉仕を行なっています。
伊勢木綿の歴史

室町時代に綿の種が伝来し、伊勢の地方は土、水、天候、冬場の肥料である鰯に恵まれ一大産地になり、最高級の木綿と評価を得ました。かつては、農業の副業として始まった木綿作りも、伊勢商人の手により江戸へと販路は広がり、伊勢の国からきた木綿を「伊勢木綿」と称しました。 伊勢参宮の土産に津の街道で名物の一つとして売られたり、江戸から戦前まで日常着として全国の人々に愛用されるなどして、当時の伊勢商人達の経済的基盤を作りました。 しかしながら、戦後、化学繊維の発展や生活の洋風化などの影響で伊勢木綿の需要は激減し、50年ほど前まではたくさんの織物工業があった一大産地でありましたが、現在、「臼井織布株式会社」のみでしか生産されておらず、非常に貴重な物となっています。