こぶ志焼
こぶ志焼とは
こぶ志焼は使いやすい形にこだわり釉薬の色合いで特徴を出している。
特に海鼠釉(なまこゆう)は歴史が古くこぶ志焼きの代名詞となっている。
他にも焼き物の中で出しにくい赤色の辰砂(しんしゃ)や日本古来からの焼き物を代表する緑釉、シンプルな中にも温かみを感じる白釉などがある。
どっしりと構える重厚感がありながらも、比較的明るく現代的な華やかさも持ち合わせており、
道内の素材を活用しながら、、食卓を彩る『うつわ』を中心に製作している。
産地:北海道岩見沢市
アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市です。
明治11年に幌内煤田を開採のため、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれています。
当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれています。
明治15年11月13日、幌内煤田鉄道の幌内~手宮間が全線開通し、明治16年に公布された移住士族取扱規則により、
この地に札幌県勧業課岩見澤派出所が設置され、次第に市街が形成され、明治17年10月6日、設村の告示により岩見澤(イワミザワ)村となり、戸長役場、郵便局も設けられ、開拓の事業も順調に進み、活気のある村となってきました。
周辺地区の北村、栗沢町と、平成18年3月27日岩見沢市を構成することとなりました。
こぶ志焼を利用した「和」の記念品例
こぶ志焼の歴史
1946年に初代、山岡三秋が創窯。
二代目の憬、三代目の千秋と75年間もの間受け継がれ、北海道では現存する最も古い窯となっている。
全国の窯元では珍しく、器を作る土の選定、釉薬(ゆうやく)作りから窯の整備、焼きまですべてを一貫して行っている。
初窯を焚いた時に、桜とともに北国に春の到来を告げる辛夷(こぶし)が咲いていたことから『こぶ志窯』としたことが由来。道民からは『こぶ志焼』として親しまれている。こだわりは『北海道のやきものを広める』そして『手作りで安く、使い易く』。
ガス窯と電気窯を使っており、焼きの方法によって釉薬の色の出方が違う。電気窯の導入は北海道内ではこぶ志焼が初。土の選定と調合の比率、焼きの方法の組み合わせは無限大。それを先代からの技術の伝承に加え、たった一人の職人の経験と業によってより磨かれたものとなり、現在も道内をはじめ日本全国に愛用者が広がる。
*全国の産地ではたいてい分業制がほとんど。工程ごとに専門家がいて地域が一体となって産地とされていることが多い。