波佐見焼
和食器
波佐見焼とは
波佐見焼は、透けるような白磁の美しさと呉須(藍色)で絵付けされた「染付」の繊細で深い味わいに特徴があります。 そして、透かし彫りや編目模様の優雅さは波佐見焼ならではのものです。庶民の器として誕生した波佐見焼は、400年という歴史の流れの中で、すばらしい伝統美を培ってきました。伝統の技と、これを伝承する心は職人から職人へ確実に受け継がれています。 今では、日用食器の全国シェア3位をもつ波佐見焼ですが、その中にはグッドデザイン賞を受けている製品もあり、産地をあげて質の高い製品づくりを目指しています。そして現代の暮らしと食文化に調和した波佐見焼は、様々なニーズに応じた一般家庭用食器から伝統的で華麗な工芸品、モダンなデザインのギフト用品まで幅広く生産されています。
産地:長崎県東彼杵郡波佐見町、川棚町、東彼杵町
波佐見町は長崎県のほぼ中央、東彼杵郡の北部に位置し、西は佐世保市、南は川棚町、東は佐賀県武雄市、嬉野市に、北は佐賀県有田町に接しています。また、長崎県内でも海に面していない唯一の町でもあります。波佐見町は400年の伝統をもつ全国屈指の[やきものの町]として栄えてきました。全国の一般家庭で使われている日用食器の約13%は波佐見町で生産されています。町内には陶磁器に関する約400の事業所があり、町内の約2,000人が窯業関係の仕事にたずさわっています。
波佐見焼の歴史
波佐見焼の歴史は、慶長3年(1598)、文禄・慶長の役に参加した大村藩主・大村喜前が朝鮮の陶工・李祐慶兄弟たちを連れ帰り、その翌年彼らが波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田に階段状連房式登窯を築き、やきものづくりを始めたことで誕生したと伝えられています。初めは施釉陶器を作っていましたが、その後、磁器の原料が発見されてからは急速に染付と青磁を中心とする磁器生産に移行します。後に大村藩の特産品に数えられ、江戸後期には日本一の磁器生産量を誇るまでになりました。
当時の波佐見焼を代表するのが「コンプラ瓶」と「くらわんか碗」です。コンプラ瓶は、醤油や酒用ボトルとして、長崎出島からオランダ・インドネシアなどに向けて盛んに輸出されていました。瓶にはオランダ語で「日本の酒」、「日本の醤油」と記されています。一方くらわんか碗ですが、この名前は江戸時代、摂津の淀川沿いの船に小舟で近づき「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売った商人の言葉から名付けられました。少し粗い白磁に呉須(藍色)で簡単な模様を描いた器で、大量生産によって、それまで庶民の手に届かなかった磁器碗を手頃な価格にし、多くの庶民の人気を得ることとなったそうです。この波佐見焼の食器づくりは、庶民の食文化を大きく変え、生活を豊かに彩り、私たちの暮らしになくてはならない身近なものになっていきました。
昭和53年には、国の伝統的工芸品に指定されました。 毎日の暮らしの中で使える、手頃でしかも良質な食器を提案するという姿勢は、現在まで変わることなく波佐見焼の心となっています。
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