会津木綿

日常の歴史継承。丈夫で堅牢な普段使いの織物

会津木綿とは

会津木綿(あいづもめん)は、陸奥(むつ)国会津郡(現在の福島県西部)に伝わる伝統工芸品。 木綿平織の堅牢な織物で、古くから野良着などとして広く着用されていました。 厚みがありふっくらとした質感で、一般的な木綿平織物に比べて縮みにくい性質があるため、 家庭での洗濯にも耐えるほどです。 経糸を小麦澱粉の液に漬けて固く糊付けし、横糸を織り込んでいく工程に特徴があり、 糊付けしたことによる細かな節が経糸と横糸の間に空気の層を含む役割を果たしています。 生地によく空気を含むため、汗をよく吸い込み保温性に優れる。

産地:福島県会津地方

福島県を奥羽(おうう)山脈と阿武隈(あぶくま)高地の2つの尾根線の概ねの境界で分けた、「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地域の内の1つ。会津盆地を中心として、東は奥羽山脈、西は越後山脈、南は下野(しもつけ)山地(帝釈山脈、大佐飛山地を含む)、北は飯豊山地に囲まれた山岳地帯です。地方中心地は会津若松市。

『古事記』によれば、古くは相津と書いたといわれています。崇神天皇の時代、諸国平定の任務を終えた四道将軍大毘古命(おおひこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子が、この地で合流したことに由来します。会津美里町の伊佐須美神社縁起にも同様の伝承があります。

会津木綿を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

会津木綿の歴史

よく会津人は頑固だと言われますが、その根底には「什の掟」の最後に記される「ならぬことはならぬものです」といった精神的支柱があるのかもしれません。(理屈ではなく「ダメなものはダメ」、という教えに基づく厳しい考え方です。) 会津藩では次代を担う青少年の教育にことのほか熱心でした。学問好きの藩祖保科正之の影響が大きかったのでしょう。家老田中玄宰(はるなか)の進言で5代藩主松平容頌(かたのぶ)の寛政2年(1805)には藩校日新館ができました。「什の掟」は日新館入学前の藩士の子弟が毎日午後に仲間の家に集まり、遊びの前に話し合う自治的な定めです。現代では通用しない内容もありますが、その考え方や掟の価値は再び注目されています。
そういった会津人の文化や性格を色濃く受け継いで作られているのがこの会津木綿です。

かつて30軒以上もあった機業場ですが、現在は3社(はらっぱ 原山織物工場※掲載商品ご提供企業様 を含む)のみが、伝統を守り続けています。