有田(伊万里)焼
装飾品、和洋食器
有田(伊万里)焼とは
有田焼とは、佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器のことです。 1616年に朝鮮人陶工・李参平が有田・泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、日本で初めて磁器が焼かれました。それ以降、多くの陶工たちが一斉に磁器の製作に取り組み、一大産地を形成していきました。 有田焼には代表的な3つの様式があり、有田で江戸期に生産された濃い染付と金襴手と呼ばれる赤や金の絵の具を贅沢に使った模様からなる「古伊万里様式」、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の背景に余白を十分に残しながら、色鮮やかな赤・青・緑・黄で草花文様や動物文様を控えめに配置し、独特の調和美を格調高く見せている「柿右衛門様式」、鍋島藩の御用か禁裡、幕府への献上用として作られた「鍋島藩窯様式」の3つです。 有田焼は18世紀ごろにヨーロッパなどに大量に輸出され、特に「古伊万里様式」や「柿右衛門様式」の磁器は、その美しさでヨーロッパの人々を魅了しました。その積み出しが伊万里港からされていたことから、「伊万里(いまり)焼」とも呼ばれます。
産地:佐賀県西松浦郡有田町、伊万里市、武雄市、嬉野市
有田町は佐賀県の西部に位置し、美しい景観を誇る田園地帯や黒髪連山など変化に富む豊かな自然に恵まれた温暖な気候の地域です。また、「棚田」という特徴的な景観を持つ稲作地であり、県下有数の畜産地でもあります。有田焼の「器」と農業の「食」の魅力を堪能できる町となっています。
有田(伊万里)焼の歴史
16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加していた佐賀藩主の鍋島直茂が、朝鮮から連れ帰った陶工の李参平によって、有田泉山に磁器の原料である陶石が発見されたのが有田焼の始まりです。この時に焼かれたものが、日本で最初の磁器であると言われています。 有田は磁器の一大生産地として、誕生当初より日本全国から需要が高まり、17世紀半ばから長崎の出島を通じて、ヨーロッパへ大量に輸出され、ヨーロッパの宮殿を彩りました。有田焼は王侯や貴族を魅了し、ドイツのドレスデンのオーガスタ王は有田焼を参考に自国内で磁器を焼かせるほどになったといわれています。
また、1900年のパリ万博への出展ではメダーユドール(最高名誉賞)を受賞するなど、語り継がれる実績がいくつもあります。 現在では、400年の伝統と技法を守り、磨きをかける傍ら、若い作家や大小工房も意欲作を作り出しています。