阿波藍染

作務衣、帯、袴

阿波藍染とは

藍染めの元となる「すくも」。徳島で生産された​すくもは「阿波藍」と呼ばれ、全国で使われる「すくも」のほとんどが徳島で作られ、​現在もその伝統が引き継がれています。​抗菌作用、防虫、防腐、防臭、保温、紫外線遮蔽など、さまざなまな効用があり、戦国時代には、藍色の1つである「勝色(かちいろ)」が、縁起の良い色とされ武将にも愛されていたとされています。

産地:徳島県(一部を除く)

徳島県は、四国の東部に位置し、北は香川県、南は高知県、西は愛媛県に接しています。 徳島県は、山地が多い県で全面積4,146.79平方キロメートルのおよそ8割を占めています。1,000メートルを越える山も数多く存在します。県内の最も高い剣山を中心とした剣山地は県を南北に分ける分水嶺で、その北方を流れる吉野川は水源を遠く高知県に発し、本県に入って大歩危・小歩危の深い峡谷を作り、三好市から東に転じ、東流するにしたがって広く、くさび形の徳島平野をつくっています。

吉野川の北、讃岐山脈は一般に低く、山麓は扇状地が発達し、土地は高く、吉野川下流の低地は勝浦川及び那賀川下流の低地と共に広く水田地帯となっています。分水嶺の南斜面山地は豊富な森林地帯となっており、広い平地は少なく、阿南市以南では山地が直接海にせまった岩石海岸で、海は深く、港湾として適当な地形をもっています。

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阿波藍染の歴史

阿波藍(あわあい)は、徳島県(阿波国)で行なわれる藍染め、またはその材料となるタデアイ(アイ)や、すくも(藍玉)の事をいいます。平安時代、徳島の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために、栽培が始まったと伝えられています。最古の資料は『見性寺記録』というもので、その中には宝治元年(1247年)に藍住町の見性寺という寺を開基した翠桂(すいけい)和尚が、そのころ寺のあった美馬郡岩倉(現在の美馬市脇町)で藍を栽培して衣を染めたと記されています。また、1445年の「兵庫北関舩入納帳(ひょうごきたぜきふないりのうちょう)」に藍の積み出し記録が残っていることから、室町時代(1338~1573)には既に阿波藍は製造され、流通されていたとも考えられています。

1600年代には、藍染料は二級品とされていましたが、製藍技術の改良や品質向上が続けられました。その後徳島藩も助成策を講じ、藍事業を保護・奨励し、報奨を授与しました。その結果、1700年代には、全国市場を支配するまでになったと言われています。1903年のピーク時から海外の合成藍などの輸入が増え、1966年まで減少し続けましたが、1967年には徳島県の支援により、阿波あい生産保存協会も設立され、阿波藍染めが少しずつ復活してきました。

藍染めを「ジャパンブルー」と表現されるのは、明治初めに来日したイギリス人科学者、ロバート・ウィリアム・アトキンソンが、町を訪れた際に、多く見られた藍色を「ジャパン・ブルー」と呼び賞賛したことが由来のようです。