伊賀くみひも

羽織紐、帯締め、ネクタイ

伊賀くみひもとは

その起源は古く、奈良時代以前といわれ、主に仏具や武具の紐として作られてきました。明治中期に江戸組紐の技術が伝えられ、高級手組紐の最大生産地として急速に発展し、今では製紐機による生産や、和装以外の新商品開発もさかんに行われています。 美しく染め上げられた絹糸、その一筋一筋が交じり合い、組み独特の風合いと、味わいを醸しだします。古来より脈々と継承された技法。一本一本の組紐に込められたたくさんの人々の心と永い時間。それらが織りなす美しさが組紐の味わいなのです。 帯締などの和装小物をはじめ、古くから親しまれてきた伊賀くみひもは、昭和51年に経済産業大臣が定める「伝統的工芸品」に指定されました。

産地:三重県伊賀市、名張市

伊賀市は、京都・奈良や伊勢を結ぶ大和街道・伊賀街道・初瀬街道を有し、古来より都(飛鳥、奈良、京都など)に隣接する地域として、また、交通の要衝として、江戸時代には藤堂家の城下町や伊勢神宮への参宮者の宿場町として栄えてきました。このような地理的・歴史的背景から京・大和文化の影響を強く受けながらも独自の文化を醸成し、伊賀流忍者や俳聖松尾芭蕉や横光利一のふるさととして、また、吉田兼好ゆかりの地としても広く知られており、歴史文化の薫る地域となっています。

伊賀くみひもを利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

伊賀くみひもの歴史

紐は織物より古いと言われ、昔から人の生活に密着しています。 我が国の組紐とその製造技術の歴史は古く、遠く、飛鳥天平の昔、大陸の文化と共にもたらされたと言われております。当初は、経巻(きょうかん)や仏具神具の紐として用いられていました。時代が進むと共に、茶道具箱の紐や、貴族達の服装の紐に用いられるようになりました。 戦国時代、武家勢力が華やかになるにつれ、組紐は刀剣や甲冑などに使用されるようになり、その技法は時代と共に伝承されてきました。伊賀上野で組紐が製造されるようになったのは、徳川幕府の時代です。

江戸時代後期に、江戸の亀戸天神に太鼓橋が完成しました。粋な深川芸者が太鼓橋をイメージして帯を背中に高く結んで、組紐の帯締めで帯を留めて渡り初めをしました。これが今のお太鼓結びの始まりと言われています。明治40年ごろに一般女性の間にも、この帯締めが評判となり、組紐の帯締めが大流行しました。この頃から組紐は帯締めや、羽織紐などに使用されるようになります。また、伊賀の組紐はその一大消費地、京都近くに位置していることもあって急成長を遂げます。以後、再び伊賀の風土に組紐技術がよみがえり、伊賀が組紐の産地として大きく発展し、特に手で組みあげる手組紐は、全国生産額の大半を占めるまでになりました。

古来の組紐の手法を育みながら、近代感覚に合った優雅な伊賀くみひもではありましたが、後継者確保難と外国産の紐の進出により、伝統工芸の伝承が困難になるに至ったので、昭和51年12月通商産業大臣の定める「伝統的工芸品」の指定を受けることとなりました。手組みをはじめ、伝統技術を活かし、製紐機(せいちゅうき)による生産研究も進み、名実ともに特産地として発展しています。