七尾和ろうそく

ろうそく

七尾和ろうそくとは

石川県能登地方七尾市、希少伝統工芸品の七尾和ろうそく。芯に和紙を用い、植物油を使用している和ろうそくは、すすが出にくく、炎が消えにくいという特徴を持ち、その炎のゆらぎは見ている人に癒しの効果を与えてくれます。

産地:石川県七尾市

石川県七尾市は、北陸地方の西部に位置する市で、石川県能登地方の中心市です。 能登半島の中央部に位置し、富山湾、七尾湾に面し、市域には能登島を含む。2004年(平成16年)10月1日に、市町村合併により七尾市が発足されました。

「七尾」の名称の由来は、七尾城のあった通称・城山の7つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)からと言われています。和倉温泉、赤浦温泉、赤崎温泉などの温泉が多く、和倉温泉と言えば能登半島屈指の規模を誇る温泉街として知られ、シラサギの沐浴伝説があることでも知られています。 戦国時代には能登畠山氏が七尾城を拠点とし、7代目当主畠山義総の代には、七尾城下に壮麗な「畠山文化」が栄え全盛期を迎えました。しかし、1577年(天正5年)、上杉謙信の侵攻により畠山氏は滅ぼされ、その後前田利家が能登全域を領有し、一部の天領を除き前田氏の加賀藩の一部となった歴史があります。 約500種4万点の生きものを飼育しているのとじま水族館や、七尾湾のシンボルである、能登半島と能登島を結ぶ全長1,050mの能登島大橋が有名です。

七尾和ろうそくを利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

七尾和ろうそくの歴史

ろうそくは、奈良時代に仏教とともに中国より伝来し、仏壇に灯す明かりとして、日本に広まったものと考えられています。天平19年(747年)の『大安寺伽藍縁起並流記資財帳』に「蝋燭」の名でろうそくの記載が残されています。当時ろうそくは輸入をしていたため、民衆の間では貴重品として扱われていました。

その後、平安時代に遣唐使が廃止され、「蝋燭」が輸入できなくなったことを期に、松脂を使用したろうそくの製造がはじまったとされています。 また、江戸時代に黄櫨の輸入により国内でのハゼの実の栽培が始まり、国産のろうそくが大量に生産されるようになりました。

1650年頃には、七尾市に「蝋燭座」という共同製造販売を行う組合のような集団が築かれ、北前船の寄港地として栄えていた七尾市のろうそくは北前船によって日本の各地へ普及、七尾仏壇も相まって知名度も高まっていきました。また、能登地方は寺院が多く、信仰心の厚い土地柄だったこともあり、和ろうそくは一般家庭にも普及していきました。

西洋のろうそくと比べ、天然の素材で製造されている和ろうそくは、様々な種類があり、米ぬか、菜種などを使用し、石油を使わないのが特徴です。

また、和ろうそくの命とも言える芯は、筒状にした和紙の上から灯芯草を丁寧に手巻し、真綿で締められひとつひとつ作り上げます。 この芯は 先まで空洞になっているため、燃えている間も常に灯芯草から吸い上げたロウと酸素が供給され 風にも強い、しっかりとした炎になります。

現在、電気の供給により和ろうそく店は減少し、七尾和ろうそくを製造しているのは日本でも1892年に創業した「高澤商店」1軒となり、その希少価値は高くなっています。 元来、信仰心の厚い土地柄である七尾市では、朝晩のお参りに和ろうそくを欠かさず使用し、和ろうそくの伝統が今なお受け継がれています。仏事、祭礼用として使われるだけではなく、日々の灯りとして毎日の暮らしを照らす欠かせない存在となっています。