高岡銅器
錆を鑑賞する工芸 高岡銅器
高岡銅器とは
高岡銅器は富山県高岡市で作られる銅器の総称です。原型、鋳造、仕上げ、着色、彫金と金属加工のあらゆる技術が高岡市に集まっており、それぞれの工程を熟練した職人が分業で行っている特徴です。この様に一つの町だけで分業制が成り立つことは難しく、高岡市の強みとなっています。また、日本の銅器生産高の95%のシェアを高岡銅器が占めており、明治時代にはパリ万国博覧会に出品されたことから世界でも知られるようになりました。今では世界でも有名な日本の伝統工芸品の一つです。また高岡は日本唯一の青銅器の産地として、茶器、花器、香炉、仏具から梵鐘、野外の大型ブロンズ像(銅像) に至るまで製造しています。身近なところでいうと、小学校にある二宮金次郎の銅像や、除夜の鐘などが、高岡銅器で作られています。その他、真鍮や青銅などの銅合金以外にもアルミ合金・錫・鉄・金・銀などの素材でも、モノづくりが行われております。大きな物から、繊細で細やかなものまで様々なものが作られています。また銅器は「錆を鑑賞する工芸」と言われており、着色やその表情を決定するのが、最後の工程だと言われています。職人が様々の手法を使い、金属を腐食させて鮮やかな「色彩」を引き出すのも特徴的です。
産地:富山県高岡市
高岡市は、本州のほぼ中央で日本海に面する富山県の北西部に位置し、平成17年11月1日に旧高岡市、旧福岡町が合併し誕生しました。
市内の西側は山間地域で西山丘陵や二上山が連なり、北東側は富山湾、東側は庄川・小矢部川によって形成された良質な地下水を有する扇状地が広がるなど、深緑と清らかな水に包まれたとても自然豊かな地域です。日本の渚百選に選ばれた雨晴海岸からは、海越しに3000メートル級の立山連峰の大パノラマを見ることができます。
高岡銅器の歴史
高岡銅器は、1611年(慶長16年)加賀藩主、前田利長が町の繁栄を図るために7人の鋳物師を高岡市金屋町に呼び寄せたことからはじまりました。歴史は長く400年以上続き、現代でも受け継がれている工芸品です。当初は大名に献上する美術工芸品として始まりました。その後、仏具、鍋釜、花瓶、茶道具、装飾金具として国内外に広く普及していきました。海外では、1862年のロンドン万国博覧会や1867年のパリ万国博覧会などを通して紹介され、輸出品としても美術銅器は確固たる地位を築いていきました。
1975年(昭和50年) には「国指定伝統的工芸品」の第一次指定、1979年(昭和54年) には特定産業の産地指定を受け、高岡銅器協同組合は2008年(平成20年) 1月11日には特許庁より「地域団体商標」として登録されました。
素材も当初は、鉄が中心でしたが、江戸時代中頃から、銅、錫、青銅、真鍮等の合金やアルミニウムへと多岐にわたり展開し製法技術は更に向上していきました。また、それに伴い、研磨・彫金・着色等の加工技術も発展し多様な表現方法を確立していきました。そして、製法と加工の両技術の発展を続けて、今に至っています。
1975年(昭和50年) には「国指定伝統的工芸品」の第一次指定、1979年(昭和54年) には特定産業の産地指定を受け、高岡銅器協同組合は2008年(平成20年) 1月11日には特許庁より「地域団体商標」として登録されました。
- 伝統産業
- 伝統工芸高岡銅器振興協同組合
- 関連リンク
- 高岡市ホームページ「ほっとホット高岡」