津軽塗

食器、家具、盆類、茶器、文箱、箸、硯箱、花器

津軽塗とは

津軽塗は、弘前市を中心に青森県津軽地方で生産される伝統漆器です。 津軽塗という言葉が生まれたのは、明治6年(1873年)、ウィーン万国博覧会に漆器を展示することとなった際、その産地を明らかにするために名付けられたと言われていますが、津軽地方での漆器産業のはじまりは江戸時代中期と言われています。昭和50年(1975年)に福島県の会津塗や石川県の輪島塗と並んで、全国で初めて経済産業大臣が定める「伝統的工芸品」に指定されました。

津軽塗の特徴は、堅牢で実用性に富んでおり、合わせて非常に優美な外見を持つ、ということがあげられます。津軽塗で用いられる「研ぎ出し変わり塗り」という技法は、幾重にも塗り重ねた漆を平滑に研ぎ出して模様を表す方法です。この繰り返しに数十回の工程、二か月以上の日数を費やすことで、複雑で美しい漆模様と頑丈でしっかりした触感が得られます。代表的な四種類の技法(唐塗、七々子塗、錦塗、紋紗塗)があり、これらを基に作られていることから、津軽塗は模様であり、塗りであるということが言えます。多くの産地の漆器は塗装した上に模様を施したものがほとんどですが、津軽塗は何層も塗り重ねていることから、底から発する奥行きがあり、器にへばりついた力強さがあります。

産地:青森県青森市、弘前市、黒石市、平川市、南津軽郡藤崎町、西津軽郡深浦町、北津軽郡板柳町

青森市は、青森県のほぼ中央に位置しており、北部は陸奥湾に面し、東部と南部は奥羽山脈の一部をなす東岳山地から八甲田連峰に、西部は梵珠山を含む津軽山地から津軽平野へ連なるなど、雄大な自然に囲まれています。また、市民参加の火まつり「青森ねぶた祭」、縄文時代の歴史観をかえた「特別史跡 三内丸山遺跡」、浅虫をはじめとする温泉資源など、世界に誇る財産がたくさんあります。

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津軽塗の歴史

津軽塗の歴史は300年以上にわたります。その基礎は、江戸時代中期、弘前藩第四代藩主津軽信政(1646~1710年)の治世に成立した、というのが一般的な説となっています。名君として名高い信政は、産業を育成するために、諸国から多くの職人・技術者を招き入れました。その中の一人、塗師の池田源兵衛は信政の命により、新しい技法の習得のため、江戸に赴くことになります。江戸で源兵衛は、青海太郎左右衛門という職人に師事しました。源兵衛は志半ばにして、江戸で病死してしまいますが、息子の源太郎がその遺志を継ぎ、青海太郎左右衛門の下で修業に励みます。太郎左右衛門の死後、帰藩した源太郎は師の姓と父の名を受け継いで、青海源兵衛と名乗ることになります。その後、源兵衛は習得した技術に独自の創意を加え、津軽の地で新たな漆器を生み出します。これが津軽塗の基礎となったといわれています。

それから様々な職人が工夫を重ね、次々と新たな塗を生み出していきました。江戸時代を通じ、こうして生産された塗物は、幕府や朝廷・他の大名家や公家への贈答品として、弘前藩に欠かせない重要な工芸品となりました。

明治維新後、これらの塗を総称し、津軽地方の伝統工芸品として「津軽塗」の名が生まれたとされています。その後、弘前に旧日本陸軍第八師団司令部が置かれ、軍都として発展していくのにつれ、津軽塗も大衆化が進み、産業として隆盛を極めます。太平洋戦争の勃発により、産業としての津軽塗は一時中断しますが、伝統は失われることなく継がれていきます。