コラム

My伝統工芸品 ~博多織~

2021.05.28

皆さん、こんにちは。
これいい和の大沼です。

これいい和コラムにお立ち寄りいただき、有難うございます。

今回は、私の使っている伝統工芸品を紹介していきます♪
私が初めて伝統工芸に触れたのは、大学2年生のお正月に靖國神社で着た『着物』でした。

■靖國神社について(参照:https://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html

明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社(しょうこんしゃ)が始まりです。

この招魂社が靖國神社の前身で、明治12年(1879年)6月4日には社号が『靖國神社』と改められ、別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)に列せられました。

『靖國』という、明治天皇が命名された社号は、『国を靖(安)んずる』という意味です。

靖國神社には『祖国を平安にする』『平和な国家を建設する』という願いが込められています。

靖國神社は、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊(みたま)を慰め、その功績や事績を、永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

1874年1月27日、明治天皇が初めて招魂社に御親拝の際にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができます。

・靖國神社の御祭神(ごさいじん)

靖國神社には、戊辰戦争(戊辰の役)やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争(西南の役)といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬(さかもとりょうま)

・吉田松陰(よしだしょういん)・高杉晋作(たかすぎしんさく)・橋本左内(はしもとさない)といった、歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して、国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊

(みたま)が祀られています。その数は246万6千余柱に及びます。

その中には軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、勤労動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々なども同様に祀られています。

このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖國の大神)として一律平等に祀られているのは、靖國神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にあるからです。つまり、靖國神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しています。

・靖國神社と日本人

我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。靖國神社や全国にある護國神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。

全國護國神社一覧も掲載されているので、是非参拝に行かれてみてはいかがでしょうか。

先輩から、靖國神社参拝の意味や英霊の方々へ感謝を伝えることの大切さ尊さを学び
私は大学2年生の頃に初めて、靖國神社へ着物を来て参拝しました。

弊社サービス「しがく式」を学んでいる会員さんと弊社社員が着物の着付け師として早朝から一人ひとりに着付けをしてくださり、私も着付けていただいた一人です。

我が社では、着物塾というものがあり、その中で着物のいろはを学びます。

最初は自分で着物を着られるようになることからスタートし、その次に、人に着物を着せられるようになる、という様に段階を踏みます。

着付け師になるためには、たくさんの練習を重ね試験に合格しなければなりません。

その試験に合格された着付け師の方々が約20名ほど、靖國参拝に向かう女性メンバーのために着付けてくれます。

ちなみに、着物塾では毎年我社で行われるイベント(キャリアコンサルティングフォーラム)で、着物ショーがあります。

こちらは、何ヶ月も前から準備と練習を重ね、ショーの中では、早着替えならぬ『早着付け』を披露してくれます。
毎年楽しみにしているイベントの一つです。

そして、着物を着せていただいたり、着物ショーを観たりすることで
伝統工芸の素晴らしさを感じるようになりました。

そんな私が使っている伝統工芸品は!

博多織(はかたおり)のポーチとペンケースです!!!

可愛い・・・♡

博多織は、福岡県の伝統工芸品です。

博多織は、福岡県福岡市の主に博多地区で特産とされる絹織物で、日本三大織物の一つです。江戸時代、福岡藩黒田氏から徳川将軍家に献上されたことから、特に最上の物を献上博多などとも呼ばれます。経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

なんと!2021年で780年を迎えます!

博多織の特徴は、先染めの細い経糸(たていと)を多く使い、太い緯糸(よこいと)を筬で強く打ち込み、主に経糸を浮かせて柄を織り出すのが博多織の特徴です。

博多織の材料は、絹糸・金糸・銀糸などになります。生地に厚みや張りがあって、古くは重い刀を腰に差す武士の帯として重用され、今でもその特性が活かされています。博多帯の締め心地には定評があり、締める際には「キュッキュッ」と絹鳴りするのも特徴です。

また、私が購入する際に感動したのが、博多織の柄です!

博多織には献上柄が施されています。

献上とは、慶長5年(1600年)黒田長政が筑前を領有するようになってからは、 幕府への献上品として博多織を選び、 毎年3月に帯地十筋と生絹三疋を献上するようになりました。 その模様は仏具の「独鈷」と「華皿」との結合紋様と 中間に縞を配した定格に固定されていました。 以前は単に独鈷、華皿浮け柄といわれていたものが、 それ以来「献上」と呼称されるようになったと言われています。

献上柄の「独鈷華皿」「親子縞」「孝行縞」3種類の縞には、様々な願いや意味合いがあります。

独鈷華皿とは魔除けや厄除けの願いが込められた柄で、仏具として使用する「独鈷(どっこ)」と「華皿(はなざら)」をモチーフにそれぞれ図案化した帯の柄のことを指します。

また「親子縞」「孝行縞」とは、太い線が親、細い線が子を表しています。

親子縞は太線が細線を挟んでおり、親が子を守るという意味、孝行縞は細線で太線を挟んでおり、子が親を敬うという意味が込められています。

(画像:https://hakataori.or.jp/about/kenjyou

これは・・・持つしかないですよね~♪

大切な方への贈り物や、自分への贈り物としてもぴったりです。
昔から続く伝統技術と昔から大切にされてきた風習を
これからも大切にしてきたいですよね。

是非、日常の中に伝統工芸品を。周年記念品に伝統工芸品を。

きっと『これいい和~♪』な気持ちになりますよ。

次回も、これいい和コラムお楽しみに。

以上、私の使っている伝統工芸品についてでした!

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