コラム
競馬のレース、なぜ「記念」?
2021.07.01
馬にまつわる記念のはなし
毎年12月に中山競馬場で行われる、日本中央競馬会(JRA)のGⅠレース。
それが有馬記念です。
中山競馬場では年末の目玉のレースとして「中山大障害」が開催されていましたが、新しいスタンドが完成したことを契機に、東京競馬場で開催されている日本ダービーのような華やかなレースを開催しようと、当時の日本中央競馬会理事長、有馬頼寧の発案で創設されました。初開催は、1956年12月23日。芝・内回りコースの2600メートルで、当初の名称は「中山グランプリ」。出走馬の選考方式にファン投票を導入したのは画期的でした。初開催直後の57年1月9日、有馬理事長が急逝したことから、その功績をたたえ、「有馬記念」と改称されて現在に至っているんです。
もう一つは「安田記念」
競走名の「安田」は明治・大正・昭和にわたって競馬に携わり、競馬法制定や東京優駿(日本ダービー)の創設などに尽力、日本中央競馬会の初代理事長も務めた安田伊左衛門に由来。東京競馬場には、安田の功績を称え胸像が建立されています。
正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、ブリーダーズカップ・チャレンジ賞。
中央競馬における上半期のマイル王決定戦として位置づけられているGI競走。
1951年に、「安田賞(やすだしょう)」の名称で創設。名称の由来(前述)となった安田伊左衛門が1958年に死去したため、同年より現名称に改称されました。
この二つの記念は、人、場所にちなんで付けられました。
有馬記念は、日本中央競馬会。第2代理事長の『有馬頼寧』氏は中山大障害が暮れの中山の風物詩であり、メインイベントであったが、東京のダービーほどの盛り上がりが、今ひとつ足りないと感じ、中山に大きなレースを作ると言う事からできたレースで、1956年暮れに『第一回中山グランプリ競走』として行われました。世界でも類を見ない、ファン投票という画期的な企画でスタート、大成功に終わるも、翌年、創設者 有馬頼寧の死去により、その功績を称え、1957年より、「第二回有馬記念グランプリ」として開催されるようになりました。
宝塚記念は文字通り、宝塚市の阪神競馬場で、やはり、暮れの名物競走、『阪神大賞典』が盛況でしたが、有馬記念が関東中山で、開催され、すっかり年末は有馬一色になってしまった事や、春から秋までに関西圏での大重賞競走は、4月の阪神、桜花賞、京都、天皇賞春しかなく、殆どが関東圏でしたので、阪神競馬場に文字通りの『宝塚記念』 を、有馬記念と同じファン投票で選ばれた馬による、春のグランプリを開催するべく宝塚市が立ち上がり競馬会とともに、1960年からスタートした競争で、勝者には現在も、宝塚市賞が贈呈されています。
第1回の競走名は「中山グランプリ」とされた。フランスには「パリ大賞(Grand Prix de Paris)」という名の大競走があったものの、日本において「グランプリ」という語は、黒澤明監督の映画『羅生門』が1951年(昭和26年)にヴェネツィア国際映画祭の最高賞(グランプリ)を受賞してから巷間に広まり、ために当時は映画絡みの言葉という感が強く、競馬の競走名として適当でないとの見方もありました。このため、「中山グランプリ」はあくまでも仮の名称として、第1回競走の投票用紙には競走名の案を書く欄も設けられ、競走名案には3812通が寄せられ、中山グランプリのほかに中山大賞典、中山王冠賞、中山王冠、中山栄冠賞、栄冠賞、中山大賞典記念、中山賞典、王冠、王冠賞、中山クラウン賞といったものがありました。しかし妙案がないということで競走名は「中山グランプリ」のまま据え置かれ、1956年(昭和31年)12月23日、新スタンドを備えた中山競馬場において第1回競走が行われました。出走12頭のうち、天皇賞の優勝馬が3頭、クラシック競走の優勝馬が4頭と当時の強豪が一堂に会し、中山では1万人入れば大入りといわれた時代にあって、当日の入場者は2万7801人という盛況であったそうです。
ところが、第1回中山グランプリからわずか17日後の1957年(昭和32年)1月9日、頼寧が肺炎により急逝しました。理事長として1年9カ月という短い在任期間中に様々な功績を残した頼寧の名を称え、同年11月23日に中山グランプリは「有馬記念」と改称されました。その後、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着。また、勝馬投票券の売上は日本一を誇る競走となり、1996年(平成8年)度には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げ、ギネス世界記録に認定登録され、有馬記念は競馬界のみならず日本の年末の風物詩として、社会的な認知を得るに至っています。
60年には芝・外回りコースに変更され、66年からは芝・内回りの2500メートルに変更されました。71年からは混合競走となって、外国産馬(外国で生まれた馬)の出走が可能となり、95年からは地方競馬からの出走も可能となりました。2000年から06年まで、外国馬(外国調教師の管理馬)は同年のジャパンカップ優勝馬のみ出走可能であったが、07年からは国際競走に指定され、外国馬6頭まで出走可能となりました。初開催から60余年の現在も、中央競馬の一大イベントとして年末の風物詩となっています。
優勝馬のなかには、第14回(69年)、15回(70年)を連覇したスピードシンボリ、第21回(76年)と22回(77年)でライバルとして争ったトウショウボーイとテンポイント(第21回はトウショウボーイ優勝、第22回はテンポイント優勝)、29回(84年)と30回(85年)を連覇して皇帝と呼ばれたシンボリルドルフ、引退レースで2回目の優勝を飾ったオグリキャップ(33回88年、35回90年優勝)など多くの名馬がいます。
第61回有馬記念は16年12月25日に開催された。優勝賞金は3億円。大野商事(代表は演歌歌手の北島三郎)が所有し11月のジャパンカップを制したキタサンブラックが、13万7353票を集めてファン投票1位になっていたが2着に終わり、同年秋の菊花賞馬でクリストフ・ルメールが騎乗した単勝1番人気のサトノダイヤモンドが優勝したのです。
JRA(日本中央競馬会)の競馬にはレースごとに「格」がついています。
その格は、新馬・未勝利から始まり、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン特別、リステッド、GⅢ、GⅡ、GⅠとなっており、競馬の頂点がGⅠです。
GⅠの「G」はGrade(グレイド)の略でその競争の「質」を表しています。
2019/10/17 追記 2017年よりG1昇格した「大阪杯」「ホープフルステークス」を追加しました
JRAのGⅠには
- 2歳の牡馬牝馬が出走できる「朝日杯フューチュリティステークス」
- 2歳の牝馬が出走できる「阪神ジュベナイルフィリーズ」
- 3歳馬だけが出走できる「皐月賞、日本ダービー、菊花賞、NHKマイルカップ」
- 3歳牝馬だけが出走できる「桜花賞、オークス、秋華賞」
- 3歳以上の牝馬が出走できる「エリザベス女王杯」
- 4歳以上牝馬が出走できる「ヴィクトリアマイル」
- 4歳以上の馬が出走できる「フェブラリーステークス、高松宮記念、大阪杯、天皇賞(春)」
- 3歳以上の馬が出走できる「安田記念、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念、スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ、チャンピオンズカップ」
- その他、障害レースを得意とする馬の「中山グランドジャンプ、中山大障害」
以上の26種類があります。
このGⅠレースの中で「皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス」は3歳クラシックレースと呼ばれます。
まず3歳牡馬は「皐月賞、日本ダービー、菊花賞」を、3歳牝馬は「桜花賞、オークス、皐月賞、日本ダービー、菊花賞」を目標にします(一般的に牝馬は、牡馬が出走できない桜花賞、オークスを目標にします)。
しかし、馬の特性によっては、他のG1レースに焦点を変え、特性のあったG1レースの奪取を狙います。
また上記の5競争に加えて、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念を合わせた8つのレースを八大競争と呼びます。
日本の最高賞金レースはジャパンカップと有馬記念です。1着賞金は3億円で、賞金総額は5億7000万円となっています。
全ての競走の優勝馬主に対して、下表の金額の賞品および競走を記録したDVDが交付されます。
GⅠ競走(平地) 400万円
GⅠ競走(平地)以外の重賞競走 200万円
リステッド競走 150万円
その他のオープン競走 130万円
3勝クラス競走 110万円
2勝クラス競走 110万円
1勝クラス競走 90万円
一般競走 50万円
http://www.jra.go.jp/owner/members/prize/
賞品とは純金メダルもしくは純金金杯のことです。
JRAで愛馬が勝利すると貰えます。
私は今までJRAで個人で2勝しました。
どちらも一般競走だったのでメダルをもらいました。
記念品、記念にちなんだ豆知識のお話でした。
これいい和では、定期的に伝統工芸品の記念品に関するメールマガジンを配信しております。
ご希望の方は、下記のフォームからご登録をお願い致します。