武州正藍染

渋沢栄一のビジネスのルーツ

武州正藍染とは

武州正藍染とは、埼玉県の地域ブランドです。埼玉県武州地域(現在の埼玉県羽生市・加須市・行田市・深谷市)で生産された正藍染を施した織物のことを言います。武州正藍染は、藍の葉からとった染料を発酵させて染めるのが特徴で、染めの手法は糸の段階で染める糸染めと布にしてから染める型染の二つの手法があり、武州では全体の7割が糸染めです。武州正藍染の糸染めは、糸を染め上げてから織るため「青縞」と呼ばれる、美しい自然のストライプが生まれます。それは、糸から染める手間をかけた手法のみで表現される、職人の誇りの証でもあるのです。特に2021年は大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一の年でもあります。武州正藍染は、そんな渋沢栄一のビジネスのルーツでもあるのです。渋沢栄一は、実家の主業でもあった深谷名産の藍玉(染色原料)の売買を手伝い、少年期から大人顔負けの商才を発揮しました。その後大きな利益を上げると同時に、「論語と算盤」を唱え、日本資本主義の父として今の日本の基盤を作り上げていったのです。武州正藍染を使った商品は同じ商品でも「青縞」が異なる為、唯一無二のあなただけの一点ものにもなります。ビジネスで成果を上げたい方や、オンリーワン商品をお探しの方にオススメの商品となっております。

弊社の取り扱っている武州正藍染の生産地である羽生市は、埼玉県の北東部に位置する市です。人口は約5万4千人となっております。江戸時代末期以降、武州正藍染の生産が行われ、現在も衣料の街でもあります。江戸時代は、武蔵国埼玉郡という名称でした。北部には利根川が流れており、市域は概ね平坦だが、加須低地北部の沖積台地に当たるため標高は17メートル前後と比較的高いのが特徴です。位置としては、群馬県と隣接するほか、茨城県と栃木県にも近いです。東武伊勢崎線が南北に縦断し、秩父鉄道は羽生駅を起点に熊谷市を通って秩父市方面へと伸びています。また、東北自動車道が東部を縦断しております。羽生市の岩瀬地区には、大型商業施設を中核とした愛藍タウンがあります。市名の由来は、市内の神社にある懸仏に、天正18年(1590年)太田埴生庄との銘があり、埴(はに、赤土の意)が生(う、多いの意)であることを表しているといわれております。また埴輪(はにわ)がなまったものという説もあります。

武州正藍染を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

武州正藍染の歴史

「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった」これは明治の文豪、田山花袋の名作「田舎教師」の冒頭の一説です。当時、武州特産の青縞(武州正藍染)は羽生にとって代表的な地場産業で、この染め上げられた藍染めは武州藍として全国に知られていました。青縞(武州正藍染)は、江戸時代後期 (天明年間)に騎西周辺の農家の副業として始まった藍染めの綿織物です。糸を染めた後布に織り上げるため、糸の染めむらによって縞柄のように見えることから青縞と呼ばれています。青縞(武州正藍染)の生産は、北埼玉地方の羽生、加須、行田が中心で、野良着をはじめ、足袋の表地などにも用いられてきました。農業の機械化に伴い需要が激減し、現在は数軒で技術を伝えるのみとなっています。