甲州印伝

袋物、財布、印鑑入れ、ハンドバッグ

甲州印伝とは

甲州印伝は、鹿革に漆で模様を付けたものが特徴で、この革を使って様々な製品を作っています。 甲州印伝の特徴の一つである鹿革は、体になじみ、強度を備えていることから武具にも盛んに使われており、戦国時代には、燻(ふすべ)や更紗(さらさ)技法を用いた鎧や兜が武将たちの勇士を飾ってきました。 漆模様づけされた柔らかく丈夫で軽い鹿皮は、使い込むほど手に馴染み、愛着が増します。また漆は時がたつほど色が冴え、深みのある落ち着いた光沢になってきます。

産地:山梨県甲府市、甲斐市、西八代郡市川三郷町

甲府市は、山梨県のほぼ中央にあり、細長い形をしています。南北の山の間にある平らな土地は“甲府盆地”と呼ばれています。市街地は甲府盆地の中心にあり、市内には荒川が流れ、御岳昇仙峡や芦川渓谷といった豊かな自然に恵まれています。武田信玄をはじめとした戦国武将たちからの長い歴史と、ゆかりの名所が多数ある日本有数の観光地でもあります。

甲州印伝を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

甲州印伝の歴史

鹿革を加工した工芸品は、仁賢天皇六年(西暦493年)に高麗の革工によりもたらされたと、日本書紀にあります。当時は紫草の根から染料をとったり、あかねの根の汁で染めたりした上に絵を描いたり、木版等を使って文様を印して着彩などをしていました。当時から松ヤニなどを燻べて、その煙により着色した技法もあったようです。 西暦900年代に入ると武人が甲胄に使用するようになり、文様も小桜、しょうぶ、菱などと種類も多くなりました。応仁の乱(1467年)以後、乱世を反映して武を事としたので、革工は大いに栄えることになります。

大永元年(1521年)に武田信玄が誕生し、ここに甲州での印傳の歴史が始まったのです。信玄袋と呼ばれる袋物は、当時の甲冑すっぽり入る大きさで、鹿革の丈夫さが重宝がられました。寛永六年(1629年)に来航した外国人から幕府に献上された印度(インド) 装飾革の華麗な彩色に刺激され、これを擬して造ったものを「いんであ革」といい、印度伝来という意味で「いんでん」の語源となりました。貞享二(1685)年刊の京都の地誌である『京羽二重』や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(1802年)の中に「印伝」の記述があることから、江戸時代には各地で製造されたものと思われますが、現在、製法が伝わっているのは、甲州印伝のみです。甲州印伝の起源については、1854(嘉永七)年、「甲州買物独案内」に記述があることから、 江戸末期には産地が形成されていたと見られています。

明治期になると信玄袋や巾着袋等が内国勧業博覧会において褒章を得るなど、山梨の特産品としての確固たる地位を築きました。 また、大正期にはハンドバック等も製作され、製品も多様化してきました。 昭和50年に甲府印傳商工業組合が設立され、昭和62年に日本の伝統的工芸品として認定されました。