高知杉

高知の自然に育まれた贈り物

高知杉とは

高知県は森林面積が84%を占める、森林率日本一の県です。高温多雨多湿の気候風土から育った森は、清らかな水を育み、四万十川(しまんとがわ)、仁淀川(によどがわ)、吉野川など全国に知られた清流の元となっています。
この豊かな森で育った良質の杉・檜は室町時代から全国に名を馳せ、一般家屋や神社仏閣などにも広く利用されてきました。
また、長い日照時間や温暖多雨な気候は、森林の生育に適し高知を代表する木材である杉と檜を育み、これらは古くは大阪城、二条城や江戸城などの建築に御用木として献上されていた歴史もあるほどです。高知県全体では、標高差による分布の変化により、様々な森林が形作られています。現在高知県の森林は、戦後に植林されたものが木材として利用できる時期にまで育っています。この育った森林から生み出される木材を使うことによって、「植える→育てる→育った木を使う→木を植える」という循環が生まれ、結果としてよく手入れがされた良い森林を育てることにつながります(高知県の森林面積84%のうち65%が植林による人口杉)。良い森林は、水質の改善、土砂災害の防止、地球温暖化の防止などの様々な機能を発揮し、多くの方の安全・安心な暮らしを支えるとともに、木材を生産して山村で暮らす人々の生活を支えています。木材は、環境にやさしい再生可能な資源であり、使う人にもやさしい安全・安心な素材です。
現在でも全国各地で歴史的建造物の修復などに使用されており、「守る」という大切な役目も担って いるのが高知杉・檜になります。

産地:高知県嶺北地域

高知県といえば坂本龍馬を浮かべる方が多いのではないでしょうか?実は高知県は坂本龍馬以外にも三菱財閥の土台を作った岩崎弥太郎、自由民権運動を主唱した板垣退助、土佐国の戦国大名である長曾我部元親など数々の偉人を輩出した地域でもあります。

さらに、豊かな森林と綺麗な川が多くある地域でもあります。 この恵まれた自然環境が調和し、豊かで変化に富んだ風土がつくられてきました。 北は四国山地で愛媛県、徳島県に接し、南は太平洋に面して扇状に突き出していることが特徴的です。 面積は約7,104平方キロメートルで四国四県では一番広く、全国では18番目に広い面積を有しています。

特に嶺北地域では豊かな自然がたくさんあり、森林面積は88%を占めています。佐々尾連山、工石山、白髪山、きびす山などは、登山・ハイキングにお勧めです。また美しい川や渓谷、滝などは、とても美しい自然が見られるスポットとなっております。その他にも、赤岳、汗見川渓谷など様々な人気スポットもございます。市街地の真ん中を流れる吉野川では、カヌー四国選手権大会が行われるなど自然ならではのイベントも盛りだくさんな自然の恵みを感じられる地域です。

高知杉を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

高知杉の歴史

四国・高知県で育った木材である土佐材は、1815年(文化12年)高知市の豪商であった武藤致和(むねたか)・平道(ひらみち)が土佐の歴史などを記録した『南路志(なんろし)』のなかで、魚梁瀬(やなせ)杉は第一の良材であって、豊臣秀吉が洛陽東山佛光寺(らくようひがしやまふっこうじ)に大仏殿を建てる際に、全国から良材を集めた中で、第一に土佐、第二に九州、第三に信州木曽・紀州熊野の順番で木材を選んだと記されてるように、大阪城築城の時に太閤秀吉から「日本一」というお墨付きをもらったことで、全国に知られる銘木となりました。

その後も江戸時代の初期には大阪城や伏見城などの修築、また大きな戦乱に巻き込まれた大阪のまちの復興にも多くの土佐材が使われ、役立ってきました。このように昔から全国で広く利用されてきた素材になります。さらに、吉野川上流 白髪山(しらがやま)の檜、高知県東部の魚梁瀬杉をはじめ、 土佐の山々から藩の御用木として幕府に献上されてきた歴史もあります。大阪では日本で最初の木材市場を開き、土佐藩の財政救済に貢献してきた歴史もあります。今も大阪に残る「土佐掘」「白髪橋」といった地名はその名残りといわれております。