熊野筆

世界から支持されている熊野筆

熊野筆とは

「熊野筆」とは、広島県熊野町で作られた筆の総称です。広島県を代表する伝統的工芸品で、書道の書筆、水彩画の画筆、メイク用の化粧筆など様々の用途で使用されています。特に化粧筆が有名です。1975年に毛筆業界で日本初の伝統的工芸品として指定を受けました。熊野筆の筆の素材には様々な動物の毛が使われており、主に馬、たぬき、いたち、鹿、山羊などの毛が使われています。それぞれの毛の特徴を活かして、使いやすい筆を作るために複数の毛を混ぜて用途別に様々な配合で筆が作られています。

筆をつくる工程は70以上もあるとされており、毛の選別から束ねるまで一連の工程のほとんどが熟練の職人の手作りでつくられています。特に筆を作る祭には性質の異なる動物の毛を筆の用途によって使い分けるので、人間の長年の経験と高い技術を持った職人の技が頼りになってくるのです。化粧筆であれば、なめらかな心地で肌に優しく、定期的に手入れをすれば3~5年ほど使うことができると言われています。2012年5月には、サッカー女子ワールドカップで初優勝した日本代表「なでしこジャパン」の国民栄誉賞の記念品としてプレゼントされました。

産地:広島県安芸郡熊野町

熊野町は、広島・呉・東広島などの町と標高約500mの山々に囲まれた高原状の盆地です。人口は約24,500人を数え、その内約2,500人が筆産業に携わっていると言われています。また、伝産法により伝統工芸士に認定された、筆づくりの名人が18人います。熊野町は「筆の都」と称され愛知県豊橋市・奈良県奈良市・広島県呉市川尻町と並ぶ、筆産地のひとつです。熊野町で、国内シェアを8割占めています。筆文化の振興と筆産業を発展させるため、春分の日を「筆の日」、秋分の日を「筆まつり」として定めています。

熊野筆を利用した「和」の記念品例

熊野筆を利用した記念品を
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記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

熊野筆の歴史

江戸時代末期ごろ、周囲を山々に囲まれ平地の少ない熊野村では、農業だけでは生活が苦しいため、農閑期を使って筆や墨を仕入れて売りさばいていました。このことがきかっけとなり、筆と熊野の結びつきが生まれました。
今から約180年前になると、広島藩の工芸の推奨により、全国に筆、墨の販売先が広がり、本格的に筆づくりの技術習得を目指すことになりました。

その後、村民の熱意と努力により筆づくりの技が根づき、明治5年に学校制度ができ、学校教育の中で筆が使われるようになり、生産量が大きく増加しました。

第2次世界大戦後、習字教育の抑制により毛筆の生産量が落ち込んだ時期もありましたが、昭和30年頃からは書筆づくりの技術を生かして、画筆や化粧筆の生産も始まり、昭和50年には広島県で初めて通商産業大臣により伝統的工芸品に指定を受けました。1979年(昭和54年)ごろの資料では全国で使用される筆のおよそ6割強(書道用のみではおよそ8割)を占めるほどの一大産地に発展していきました。
現在では、毛筆、画筆、化粧筆のいずれも全国一の生産量を誇る産地として知られています。また、近年は化粧筆の品質が国内外で高く評価されています。このように、熊野の筆づくりは、今もなお親から子供へ子供から孫へと引き継がれています。