九谷焼

食器、花器、酒器、茶器、置物

九谷焼とは

九谷焼は、日本を代表する色絵陶磁器であり、最大の魅力は「上絵付け」です。 「上絵付け」とは本焼きした陶磁器の釉薬の上に、紋様を描き、再度焼く技法のことです。九谷焼の上絵付けは、「赤、黄、緑、紫、紺青」の、五彩手といい、見事な色彩効果と優美な絵模様を表現しています。色彩豊かなのが九谷焼の特徴でもあります。

産地:石川県/小松市、能美市、金沢市、加賀市

江戸時代、加賀藩は学問や文芸を奨励し、城下町を中心とした伝統文化を発展させます。それに伴い加賀友禅、金沢漆器、輪島塗などの芸術性の高い伝統技術が誕生し、現代もその技術が受け継がれています。現在の生産量としては、九谷焼の全生産量の約80%を能美市が占めています。

九谷焼を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

九谷焼の歴史

およそ360年の歴史を持つ九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀前田藩の支藩である大聖寺藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才次郎が江沼(えぬま)郡九谷村で開窯したことがきっかけです。しかし、元禄年間の1701年頃開窯後およそ50年で廃窯。なぜ廃窯されたのかは今でも定かではありません。その後100年は日本の陶器と言えば伊万里焼の時代でした。その後、およそ110余年の空白の時を経た文化年間(1804~17)以降、「再興九谷」と呼ばれる諸窯が、加賀の各所に次々と開窯しました。代表的なものとしては、京都の文人画家青木木米(あおきもくべい)を招き、金沢の春日山に窯を築きました。これを機に、加賀藩窯・春日山窯、若杉村の庄屋・林八兵衛の助力によって築窯された若杉窯、また古九谷再興を目標に掲げ、大聖寺の豪商・豊田伝右衛門によって開かれた吉田屋窯など、どれも個性的な九谷様式にのっとった作風を展開し、九谷焼が再興しました。

明治時代に入ってからは、九谷庄三の彩色金襴手が有名になり、ウィーン万博がきっかけで大量の九谷焼が海外へ輸出されました。これによって九谷焼の名が一気に広まることとなりました。 現在では、宮内庁より贈答品として使用され、また英国チャールズ皇太子御成婚祝としても献上され、外国の著名な方々にも広く愛用されるようになりました。 歴史を重ねながらも、時代に合わせ常に進化をしています。