新潟県燕三条の金物

日本の世界に誇る金属加工技術

新潟県燕三条の金物とは

新潟県の燕市、三条市エリアは古くから、金属加工が盛んな地域として、有名です。機能性、品質の良さが特徴で、国内はもちろん海外でも広く愛用されてきました。この地域で産業が始まったのは、江戸時代の初期、農民の副業から始まったと言われています。この地域には、稲作や農作物を育てるのに欠かせない、信濃川が近くを流れています。信濃川の存在は、この地域の人々に取って欠かせない存在だったと同時に、水害に悩まされました。そんな中、江戸から和釘職人が呼ばれ、副業として、栄えていったと言われています。現在では、金属ハウスウェア産業、金属洋食器ともに全国生産額の約9割を占めており、日本の食卓、世界の食卓に燕三条の金物が使われ、人々の生活を支えています。

産地:新潟県燕市、三条市

燕三条とは、燕市、三条市を合わせた通称で、新潟県のほぼ中央部に位置しております。近くを信濃川が流れております。三条は「商人の町」、燕は「職人の町」とも称され、江戸時代初期より栄えた金属加工の町として、日本だけではなく、世界からも名を知られる町です。人口は燕市で7.7万人、三条市で9.9万に及びます。三条市は、上場企業数も多い地域で、人口1人当たりの上場企業数は東京都、大阪府に次いで第3位になり、モノづくりと共に多くの企業があります。気候は、夏は短く、暖かく、蒸し、冬は非常に寒く、風が強く、年間を通じて湿度が高く、曇りの日が多い地域です。燕市、三条市ともに平野部が面積の多くを占めており、三条市の下田地域は山岳地になります。

新潟県燕三条の金物を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

新潟県燕三条の金物の歴史

新潟県の燕市、三条市エリアは江戸時代初期から、金属加工の街として現在まで、多くのモノづくりをしてきました。もともとは、農家の副業として始まりました。事の発端は、近くを流れる、信濃川の氾濫、水害が原因でした。水害により、農作物が育たない、生活に支障をきたしてしまい、困った人々を助けたのが、「金属加工」という新たな産業でした。困ったこの地域の人々の為に江戸より和釘職人が呼ばれました。そこから和釘づくりが農家の副業として薦められ、金属加工産業が発展していったと言われています。「金属加工」という新しい産業を手に入れた燕産業一体は、のちに江戸の復興を助けるまでに成長していきます。和釘の多くは、燕市、三条市の問屋を経由し、江戸にも送られていきました。そして元和年間(1615~1623)の江戸地震・大火には、「金属加工」という産業を持ってきてくれた江戸を助ける大きな貢献をしたのです。江戸では、火事により、多くの被害が出た中で、釘の需要が高まり、燕市、三条市の職人たちの手によって復興していきました。このような歴史の中で、着実に技術力を向上させていき、人々の需要に合わせたモノづくりをしていき、現在に至ります。時代とともに技術は発展し、新しいものが生み出されていく中で、燕三条のモノづくりは進化していきました。世の中にアルミニウムがで回ったり、銅の価格が上がったりと、危機的状況を、長年の歴史で積み重ねた確かな技術によって、柔軟に対応し、時に形を変えながら、技術が継承されて行きました。そして行きついたのが、金属洋食器産業、金属ハウスウェア産業でした。こうして現在まで、確実に技術が伝承され、現在に至ります。