山中漆器

茶道具、茶托、盆、重箱

山中漆器とは

山中漆器の始まりはおよそ400年前(安土桃山時代)と言われています。山中漆器の特徴は、轆轤を使った挽物技術にあります。木地の肌に極細の筋を入れる加飾挽きは、山中漆器が最も得意とするものです。また、豪華な高蒔絵を施した茶道具、特に、棗(なつめ)の制作には定評があります。 漆器の生産工程には木地、塗り、蒔絵の工程があり、塗り工程はさらに下地と上塗りに分かれます。 石川県には3つの漆器産地がありますが、それぞれ特徴があり「木地の山中」「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」と称されています。山中は轆轤挽物木地の分野では、職人さんの質・量とも国内トップの位置にあり、縦木取りをはじめとする山中独自の木地挽物技術には、薄挽きや加飾挽きなどの他産地の追随を許さぬものがあります。 また伝統的な漆器作りにとどまらず、昭和30年代からはプラスチック(合成樹脂)の素地にウレタン塗装を施した合成(近代)漆器の生産にいち早く取り組んだ結果、飛躍的に生産額を伸ばし、伝統漆器と併せた生産額では全国一の座にあります。

産地:石川県加賀市

加賀市は、石川県の最南端に位置し、16.5kmに及ぶ美しい海岸線は越前加賀海岸国定公園に指定されています。また、東には霊峰白山を仰ぎ、南には大日山をはじめとする自然豊かな山々が連なっております。16世紀末の織田・豊臣の統一から徳川幕府の成立に至る間は、大聖寺を中心とする体制ができた時期で、寛永16年(1639年)前田利常の第3子利治を藩主とした大聖寺藩が誕生し、明治維新に至る230年間、十万石の城下町として栄えました。

山中漆器を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

山中漆器の歴史

山中漆器は安土桃山時代の天正年間(西暦1573-1592)に、越前の国から山伝いに、加賀市山中温泉の上流約20kmの真砂という集落に諸国山林伐採許可状を持った木地師の集団が移住したことに始まります。 当初は白木地の挽物で、湯治客を対象とした土産物が主でしたが、江戸時代前期の慶安年間(1648~52)から文化年間(1804~18)にかけて全国から名工を招聘。技術導入により、現在に承け継がれている千筋挽(せんすじびき)、そして朱溜塗(しゅだめぬり)、独楽塗(こまぬり)、色塗漆器など、さまざまな技法が開発されました。土産物から漆器生産へ。山中漆器は本格的な地場産業としてスタートを切ったのです。 また昭和33年頃には、木製漆器を基盤とし、食器類を中心に発展してきた山中漆器にもプラスチックがとり入れられました。伝統的な木製漆器に加え、低廉価格で多様なデザイン・機能性を持ったプラスチック漆器の生産により、市場はより一層拡大し、国内外のさまざまな需要に応えてきました。 現在、山中漆器は山中町と加賀市に漆器団地を形成し、製造工程別 の分業による量産体制を確立しています。そして多様化・個性化するライフスタイルに対応した食器やインテリア用品などの新製品開発に力を注ぎ、ギフト、ブライダルをはじめとする新分野へ進出。地場産業としては、全国トップの生産額を誇る一大産地へと飛躍的な発展を遂げています。 今後も400年を誇る歴史と伝統を継承しつつ、さらに新しい技術を駆使しながら新素材・新市場の開拓に努め、時代のニーズにマッチした商品づくりを積極的に推し進めていきます。