米沢織

米沢藩を救った織物

米沢織とは

米沢織は、山形県米沢市を中心とした地域で生産されている紬織物の総称です。元々は、米沢藩第九代藩主「上杉鷹山」の産業振興として青苧を原料とする麻織物からはじまった機業です。

米沢織の特徴は自然の染料を使った「草木染」。紅花などの植物染料を使った、風合い豊かな先染織物が有名で、「縮(ちぢみ)」という技術が導入されております。強い撚(よ)りをかけて強度を高めた糸で織られており、「しぼ」と呼ばれる細かなしわが表面に出ているのが特徴です。

「一産地に一つの布」が主流ですが、米沢織には「長井紬」や「置賜紬」、「紅花紬」などの個性的な布が豊富にあり、高品質な紬織物としても有名です。また、織機には、手織り機や機械の動力で織る力織機があり、手織り、ジャカード織、ドビー織などの織り方が行われています。

産地:山形県米沢市

米沢市は山形県の最南端に位置し、「最上川」の源である吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地にあり、福島県と県境を接しております。
市域の南側に広がる吾妻連峰は、大部分が磐梯朝日国立公園に指定されており、四季折々の雄大な自然景観が楽しめます。さらに、米沢の奥座敷である小野川温泉のほか、吾妻の山々には古くから奥州三高湯のひとつと言われた白布温泉をはじめ、姥湯温泉、大平温泉、滑川温泉、新高湯温泉、五色温泉、湯の沢温泉などの豊富な温泉群があるほか、夏山登山やスキーなどが手軽に楽しめる「自然の恵み豊かな都市」です。

また、四季の変化に富み、日本海側気候の盆地特有の気候を示しており、夏は夏日、真夏日となる日が多いが、日中は暑くても朝晩は涼しくなり熱帯夜にはならないのが特徴的です。冬は一日中氷点下の真冬日となる日も多く、零下10度を下回る日も珍しくありません。1978年2月17日には-18.2度を観測しているなど寒さが厳しいのが米沢市です。特別豪雪地帯に指定されており、年間累計積雪深は10mに達することがあるほか、市街地でも 平年の最高積雪深が約100cmに達するほどの降雪量があります。

米沢市の気象観測地点の標高は245m、一方、福島市の福島地方気象台の標高は67mと標高差は178mほどしか無く、両市中心街の距離は40km弱しか離れていないが、太平洋側気候の福島市とは気候に非常に大きな違いがあり、冬季の冷え込み、真冬日日数、熱帯夜日数、積雪量などで非常に大きな差があります。

米沢織を利用した「和」の記念品例

  • 日本の織物ネクタイ 藍染 ~米沢織~

    武州正藍染×日本各地の織物
    大剣が武州正藍染、小剣が米沢織になっています。「色移りが気になる」というお声も頂くことのある藍染。首や胸などシャツに当たる部分を米沢織にすることでその心配を解消しました。

米沢織を利用した記念品を
是非ご検討ください。

記念品例のようなお品はもちろん、便箋セットや和紙小物など、様々なご要望を承ります。

米沢織の歴史

米沢織は、第九代米沢藩主上杉鷹山によって、藩政改革された時に作られたものになります。その当時の米沢藩(今の山形県米沢市あたり)は関ヶ原の戦いで敗れたことをきっかけに、借金が現在でいうと、120億円ありました。そんな米沢藩改革を任されたのが当時16歳の上杉鷹山でした。

上杉鷹山の藩改革のひとつに、産業振興がありました。上杉鷹山は米沢藩の特産品であった青苧を使い、武士の婦子女に内職として機織りを習得させたといわれております。その後、桑の栽培と養蚕を奨励し、絹織物に移行。そして本場、京都から織物師を招いて研究開発を行ったりしたことで、織物産業が飛躍的に発展しました。この時期に紅花や藍、紫根(しこん)などの植物染料で糸を染めてから織る「先染め」の技術が確立され、出羽の米沢織として全国に知られるようになりました。米沢織物が全国に知り渡ったことをきっかけに米沢藩の改革も進んでいき、借金120億も全て返済することが出来ました。その後、イギリスの旅行作家、イザベラ・バードが米沢の地を訪れた時に「アジアの理想郷である」と言う言葉を残したことは有名です。

その後米沢織は明治に入り、化学染料による染色方法が普及し、力織機の改良開発が進んでいきます。そして米沢織物の海外向け製造も始まり、主にインド・アメリカに輸出されました。これが米沢織物輸出の土台となり、戦後海外展示会開催も行われるなど伝統となっていきました。

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