コラム

地元は埼玉県の蕨市

2021.11.08

こんにちは!これいい和の池田です。

本日は私の地元とそこの工芸品についてご紹介いたします。

私の地元は埼玉県の蕨市になります。

蕨市は都心に近い埼玉県の南部に位置している市になります。市域が5.1平方キロメートルとなんと日本一小さい市と言われおります。区町村を含めても8番目(区は特別区のみ)に狭いのが蕨市!それだけではなく、そこに7万4千人が暮らす日本一過密なまちです。古くは中山道の宿場町として有名でした。また織物業で栄え、今でも蕨の歴史がしのばれる機まつりや宿場まつりなどの催しが行なわれています。現在は都心へのアクセスも良く、住みやすいまちとして発展しております。

1889年(明治22年)に蕨町として発足して以来、一度も市町村合併を経験していません。以前に、同じ中山道沿いの都市である浦和市(現さいたま市)などとの合併構想が度々浮上していたものの実現はしませんでした。また、平成の大合併では川口市、旧・鳩ヶ谷市との新設合併協議(武南市構想)が実施され、新市庁舎の位置や合併予定期日も決定していたこともありました。しかし、川口市が合併協議会で可決された「武南市」の市名に反発し、法定合併協議会から離脱、協議会は解散しました。そのため今でも蕨市は残り続けております。

わらびの由来はわらび地名の由来は「蕨」説と、「藁火」が変化して蕨になったとする説が伝えられています。まず、「蕨」説は、近隣の戸田市や川口市にもある地名の青木、笹目、美女木などの植物にならって名付けたとか、僧慈鎮(じちん)の「武蔵野の草葉にまさるさわらびをげにむらさきの塵かとぞみる」の歌をもって「蕨」としたなどです。「藁火」説は、源義経が立ちのぼる煙を見て「藁火村」と名づけたとか、在原業平が藁をたいてもてなしをうけたところから「藁火」と命名したなどです。文献上、初めて「わらび」が見られるのは観応3年(1352年)6月29日付「賀上家文書」で、「蕨郷上下」と記されています。

<双子織>

【特徴】

 その① 透けないほどの高密度
     太陽にかざしても透けないほど超高密度で、通常の平織りと比べれば一目瞭然です。

 その② 国家に認められた高品質
     東京税務監督局鑑定部の調査により作成された「管内織物解説」の最も評価の高い1等級として認定されました。

 その③ 高度な技術、繊細な織物
     双子織は縦糸と横糸が実はアンバランスです。本来の織物の常識では考えられない絶妙なバランスは、現代の職人さんが見ても、技術的に高度な織物となります。

<詳しい説明>

江戸から昭和にかけて、織物の生産地として名をはせた蕨の中で生まれたのが双子織です。江戸時代の末ごろ、二本の高級綿糸を並べた「引き揃え糸」を経(たて)糸、または経糸・横糸の両方に用いて平織りにした二タ子(ふたこ)織が考案されました。

蕨双子織は72本もの木綿糸を重ねて織られているため、丈夫で決して透けることなく絹織物にも負けぬ光沢を持つ高品質な蕨の伝統工芸綿織物です。 時を重ね、明治時代には、大阪で開催された第五回内国勧業博覧会にて入賞、東京税務監督局鑑定の「管内織物解説」では、織物の等級で一等を与えられ、その技術力・質の高さは国内のみならず海外にも知れ渡りました。しかし、近代に入り、機械化進む社会に変化していきましたが、高品質が故に当時の技術力ではどうしても機械化できず、機械化された安価な大量生産品に押され商品供給が追い付かず、市場で見ることが少なくなり、創業の地埼玉蕨の地でも、授業で伝わるくらい程度になり、ほとんど知る者も少なくなってしまいました。

1960年代前半を最後に生産が途絶えていた双子織でしたが、2004年、明治期の縞帳(しまちょう)を元に復元されたことから、そのことを授業で聞いた者たちを中心に、蕨双子織を復活させたいと願う有志が集まり、熱い努力と苦難にまみれた結果、蕨商工会議所が2014年に双子織みらいプロジェクトを立ち上げました。

以上が私の地元蕨市と蕨市の工芸品「双子織」のご紹介となります。

これからもこれいい和では日本全国の工芸品、工芸さんとお付き合いしていければと思っております。

引き続き、これいい和を宜しくお願い致します。

<参考文献>
https://futako.saitama.jp/
https://ab.jcci.or.jp/article/503/

私たちが、心を込めて記念品をご提案いたします。concierge service私たちが、心を込めて記念品をご提案いたします。concierge service