コラム

伝統工芸品が教えてくれる、生活の知恵

2021.10.15

いつもこれいい和を応援してくださり、ありがとうございます。今回は、伝統工芸品が私たちに教えてくれるもの「生活の知恵」についてお話させて頂きます。

昨今のコロナウイルスにより、生活様式が変わった方も多いかと思います。週末の楽しみ、同僚との飲み会や、恋人との、半年に一回の旅行などなど、「楽しみにしていた」ものがいけなくなってしまったり、できなかったりと、日本人のストレスを感じる度合いも高くなっているみたいです。
今まで当たり前にやっていたことが、できないとなると、「ああ、当たり前ではなかったな」「感謝だな」と気づきを得た方もいらっしゃると思います。

ここで、日本の禅文化を海外に広く知らしめた鈴木大拙先生の言葉をご紹介させて頂きます。

「ありがとう すみません はい」


この3つの言葉があれば、愉快な日常を過ごすことができるのだそうです。

ありがとう。
今ここに自分がいること、お父さんとお母さんの出会いがあって自分がここに生きていることの奇跡に感謝をする。

すみません。
生まれてから、今まで多くの方にお世話になり、今日コンビニで買ったパンも、原材料を作る方がいて、パンを作る工場がある。商品を企画する人がいて、店頭で毎日頑張っているアルバイトの明さんがいて、私は100円のお金を出して、頂いている。こんな風に周りの皆様のおかげ様で今生きている、この奇跡に感謝する。ご恩返しがすみません。これがすみませんという意味なのだそうです。

そして「はい」、
これは漢字にすると「拝」だということです。拝む、受け入れるということ。今こうして、ここに座っている、この巡り合わせの奇跡に感謝をするということ。「はい」と受け入れる。


このような深い意味が「ありがとう すみません はい」という言葉にはあるようです。コロナにより、さまざまな変化があり、それは変えられないけれども、自分の心は変えられる、行動は変えられる。強くありたいものですね。

では、強く生きていくためには、どうすればよいのか。それは、歴史の先人から学ぶことだと思います。歴史を学ぶには、偉人伝、小説、テレビなどたくさんありますが、実は、これいい和の扱う、伝統工芸品からも、先人の生きていく知恵が教えてくれるものがありました。

さまざまな伝統工芸品の成り立ちについて、調べていく中で、その成り立ちがとても面白く感じました。工芸品が作られるきっかけの多くが、「副業」だったのです。生活していくために、「子どもたちを育てるために」人々が考えたことは、自分たちの土地にあるモノ、合うモノをつかい、特徴を生かして、新しいものを作っていったというケースが非常に多かったことに気が付きました。

例えば、秋田県の伝統工芸品「樺細工」。

樺とは山桜の樹皮を指しており、山桜の樹皮を用いた木工品は、日本国内で秋田県のみに伝承されています。日本を代表する工芸品のひとつと言える貴重な存在です。1781年(安永10年)~1788年(天明8年)の天保年間に、武士の藤村彦六によって県北部の阿仁地方より技法が伝えられたのが、角館の樺細工の始まりだそうです。最初は下級武士の副業でした。下級武士は当時けして裕福とはいえない生活をしていたため、副業として、広がっていきました。当時角館を治めていた佐竹北家により手厚く育まれ、角館の地場産業として根づきました。その頃の主な製品は、根付けや印籠、胴乱(薬・煙草などを入れる携帯容器)などの小物類です。それらは参勤交代の際、みやげ物に好まれていたのだそうです。当時、樺細工は非常に珍しかったため、おみやげとして買っていったら、皆さんに喜ばれたのでしょう。

そして明治時代に入ると、武士をやめ本格的に樺細工職人の道に進む者も多くいたそうです。そののち、有力な問屋が出現したこと、工具が改良されたことなどで、安定した産業へと発展しました。こうしたのちに、柳宗悦など、名工とも呼ばれる時代のリーダーたちの指導により、さらに技術が改良され、商品価値の高まりを見せるようになりました。

樺細工 ボールペンDX

樺細工 桜皮箸夫婦セット

樺細工 総皮茶筒 スライド式

次にご紹介したいのが、広島県の伝統工芸品「熊野筆」。

歴史をたどると、江戸時代末期にさかのぼります、当時、平地の少ない熊野村では、農業だけでは生活が苦しいため、農閑期を利用して、奈良地方から筆や墨を仕入れ、それを売りさばいていたことが、きっかけとなり、筆と熊野の結びつきが生まれました。今から約180年前になると、広島藩の工芸の推奨により、全国に筆、墨の販売先が広がり、本格的に筆づくりの技術習得を目指すことになったのです。その先駆者となったのが、当時筆づくりが進んでいた、奈良や兵庫県に派遣されたり、地元に招いた筆づくり職人に、技術を習った村人たちでした。その後、村民の熱意と努力により筆づくりの技が根づき、明治5年に学校制度ができ、明治33年には義務教育が4年間になるなど、学校教育の中で筆が使われるようになり、生産量が大きく増加したのです。第2次世界大戦後になると、GHQによる習字教育の抑制により毛筆の生産量が落ち込んだ時期もありましたが、昭和30年頃からは書筆づくりの技術を生かして、画筆や化粧筆の生産も始まり、昭和50年には広島県で初めて伝統的工芸品に指定を受けたのです。現在では、毛筆、画筆、化粧筆のいずれも全国一の生産量を誇る産地になっています。また、近年は化粧筆の品質が国内外で高く評価されるようにもなっています。農民の副業から始まった熊野筆が今では、地域、日本を超えて、世界でも評価され、愛されるほどになったというわけです。

熊野筆 チークブラシ

今回ご紹介した伝統工芸品は、秋田の「樺細工」と広島の「熊野筆」の2品でしたが、そのほかにもたくさんのストーリーがあるのが、伝統工芸品です。

伝統工芸品の成り立ちからわかる事は、自分たちの身の回りには、宝物がたくさんあるということです。
現代はネット社会と呼ばれ、すぐになんでもサーチができてしまう。知識をつけたかったら、無限大に知る事ができるようになっています。それは素晴らしいことであり、便利なことです。
現代日本人が1日に触れる情報量が「平安時代の一生分」であり「江戸時代の1年分」であることは、有名な話ですが、知識や情報と同じくらい大事なのが、「知恵」なのではないかと気づかされます。

知恵とは、「道理を判断し処理していく心の働き。 筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。」のことだそうです。身の周りのものの素晴らしさに気づく感性、そしてその良さを最大限に生かす技術。これは、現代を生きる、現代を闘う我々大人にとって、大変学びになる事なのではないかと思います。

伝統工芸品は、このように、成り立ちや作った人の想いにふれることのできる素晴らしいものです。昨今の時代だからこそ、この心のこもった品を周年記念の記念品や、大切な方へのギフト、スペシャルなプレゼントに使用してみてはいかがでしょうか。

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