コラム
上杉鷹山とは|米沢織を生んだ改革と「なせば成る」の本当の意味
2026.03.27
こんにちは!
これいい和の池田です。
今回は、「上杉鷹山の改革と、米沢織の誕生、そして現代にも通じる考え方」についてお伝えします。
伝統工芸品の背景には、単なる技術だけでなく、
・人の想い
・時代の課題
・変革のストーリー
が存在しています。
その代表例が「上杉鷹山と米沢織」です。
もくじ
1 米沢織とはどんな伝統工芸か
2 米沢織を生んだ人物「上杉鷹山」
3 破綻寸前の米沢藩からのスタート
4 心に火を灯すという発想
5 まず自ら動くというリーダーシップ
6 産業を生み出すという発想
7 なぜ今も評価されるのか
8 「なせば成る」に込められた本当の意味
9 現代にも通じる考え方
10 伝統工芸と人の想い
11 関連リンク

1 米沢織とはどんな伝統工芸か
米沢織は、山形県米沢市を中心に発展した織物です。
特徴としては、
・草木染による自然な色合い
・強く撚った糸による「しぼ」のある風合い
・多品種少量生産
などが挙げられます。
現在では、高級服地として海外ブランドにも採用されるなど、世界的にも評価されています。
2 米沢織を生んだ人物「上杉鷹山」
この米沢織の発展に大きく関わったのが、米沢藩主・上杉鷹山です。
あまり一般的には知られていない人物ですが、
・ジョン・F・ケネディが尊敬する日本人として名前を挙げた
・地元では今も「鷹山公」と呼ばれている
など、高く評価され続けています。
元々、高鍋藩(現在の宮崎県児湯郡)の秋月家の次男として生まれました。
「国の第一は人材」と考え遊学を勧める父を見て、鷹山もまた、楽しんで学んでいきました。
そんな鷹山に転機が訪れます。なんと、僅か9 歳で米沢藩の次期お殿様(藩主)に任命されます。
ですが、その当時の米沢藩には借金が120億円もありました。一言で言うと、日本一貧貧乏な藩。
そこのリーダーが上杉鷹山でした。
3 破綻寸前の米沢藩からのスタート
当時の米沢藩の人々は借りたものは返さない。
欲しいものは奪うのが、当たり前でした。
でも当時の人々は悪いとは思っていなかったのです。
何故なら、そうしないと自分が生きていけないからです。
なので、当時の人々は自分さえ生きていければそれでいいという考えでした。
そんな米沢藩を変えていったのが上杉鷹山です。
ですが、そんな鷹山も初めて米沢をみた時、「ああ、ここに住む人々は希望をなくしている。希望がないから心が死んでいるんだ。自分に米沢を変えることなど出来るのだろうか」と不安な気持ちを抱えていました。
4 心に火を灯すという発想
そんな中、鷹山は気付きます。
煙草の灰を入れておく冷え切った灰鉢を見つめていたときのことです。
何気なく手でかき回すと、一つの小さな火種を見つけました。
鷹山が何気なく優しく「ふーっ」と吹くと小さく、じわーと赤くなりました。
近くにあった新しい炭をその火種の隣に置き、もう一度「ふーっ」と吹くと炭に火が移り、燃え始めました。
それを見て思います。
米沢での改革もこのようにできないだろうか。
まずは私が火種となり、まわりの人の心に火をつけていく。
そうすればその火が隣の人に、また隣の人へと続き、いつか米沢を明るく照らす改革をしていこう。まさに上杉鷹山が考えたことは「一燈照隅万燈照国」の精神でした。
5 まず自ら動くというリーダーシップ
上杉鷹山が行ったことはシンプルで、自らが動くことです。
当時のお殿様というのは、お城の中にいるか、参勤交代しているかがほとんどでした。
つまり、自分の藩がどういう状態なのかは、あまり知りませんでした。
そんな中、鷹山が行ったことは、「この時代他の藩主がやっていない事」だったのです。
上杉鷹山がまず行ったことは、馬も使わずに自らが米沢を歩いて回り、現状を把握したことです。
その途中で、農民たちと一緒に鍬(くわ)を持って畑を耕すこともしていました。
それだけではなく、生活の無駄を省くため、衣服から食事まで一汁一菜と質素なものにしていきます。
すると、米沢の人々は『今回のお殿様は信用できるかもしれない!』と感じ、心が変わっていきました。中には、武士である人たちのなかにも、刀を置いて鍬を持ち、新田開発に取り組む人々も出てきました。
そのような人々に、鷹山はこう話します。
「他藩の侍なら、このような苦労は感じないだろう…。おまえたちに、このような痛苦を味わわせるのは、私に藩主としての力がないためである。どうか許してくれ。いまより、おまえたちひとりひとりに酒を注ぐ。それはまず、おまえたちへの詫びである。次に、この荒地に挑むおまえたちへの励ましである。そして何よりも、おまえたちひとりひとりの胸に燃える火に油を注ぐためでる。どうか、胸の火を絶やすな。炎となって燃えつづけてくれ」
そういい終えると、ひとりひとりに、「頼んだぞ」と声をかけ酒を注いでいったと言います。
6 産業を生み出すという発想
鷹山の改革の中でも重要なのが、産業振興です。
自分のお城の中で桑の栽培と養蚕をおこなっていきました。
普通ならそれをそのまま売買する事を考えますが、上杉鷹山が行ったことは「より付加価値をつけて販売する」ことでした。
それが「織物」でした。
上杉鷹山は、越後から織物の専門師を迎えて、織場を設けました。そして、織り方を家中の女子に習得させます。そのようにして織りだされたのは、青苧を原料とする麻織物。今でいう米沢織の原型でした。
米沢織の誕生
その後、織物は麻織物から 麻絹交織、絹織物へと移行します。
真綿が原料の紬織物は米沢紬、長井紬、白鷹紬と呼ばれ置賜紬に発展していきます。
明治時代に入り、化学染料による染色方法が普及、力織機の改良開発が行われ、米沢織の海外輸出が始まります。
大正時代には、 力織機への転換、日本初の人造絹糸が発明され製造も始まりました。
戦後は、洋装化に伴い、米沢織の服地は新分野を確立、 絹や化合繊などあらゆる種類の糸を組み合わせ、手のこんだ製品を作り上げます。
そして現在、米沢織は高級服地として海外有名ブランドに使用されています。
そうなったのも上杉鷹山が米沢織を作り、米沢の方々が後世に技術を繋いでくれたお陰だと思います。
7 なぜ今も評価されるのか
上杉鷹山が評価され続ける理由は、単なる改革ではなく、
・人を変えたこと
・仕組みを作ったこと
・未来につながる産業を生んだこと
にあります。
8 「なせば成る」に込められた本当の意味
最後に上杉鷹山の言葉で締めたいと思います。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
意味は
「なにかをやろうと思って行動すれば、どんなことでもできるようになる。 ただ待っていて、何にもしなければ良い結果はないし、できるようにはならない。 できないのは、その人がちゃんと行動しないからだ。」
ということです。
つまり「とにかく、行動すること!」ということです。
決めたことをやりきろうと行動することです。
明日やろうかな…。今日はやめておこうかな…。ではなく、
すぐにやろう!今日からやろう!と決めて行動すると、いつか実現するときが来ます。
上杉鷹山が米沢織を広めていったように、これいい和も工芸界を「一燈照隅万燈照国」の精神で盛り上げいきます。

9 現代にも通じる考え方
この考え方は、現代の仕事にも通じます。
・まず自分が動く
・周囲に影響を与える
・価値を生み出す
こうした積み重ねが、組織や社会を変えていきます。
10 伝統工芸と人の想い
米沢織は、
・技術
・歴史
・人の想い
が重なって生まれたものです。
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