コラム

歴史に触れた夏 ~千葉県野田市~

2021.08.23

夏の思い出2021

いつも本ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

これいい和の吉川(きっかわ)です。

本日は伝統工芸品・記念品とはジャンルが異なりますが、夏の思い出を紹介させていただきます。

まずは、お盆休みで改めて勉強してみた、鈴木貫太郎という人物を紹介したいと思います。

鈴木貫太郎

興味を持った経緯ですが、映画の名作「日本のいちばん長い日(1967年版岡本喜八監督)」を見る機会があり、そこに登場したのが鈴木貫太郎氏でした。

日本のいちばん長い日

1945年4月7日から8月17日までの期間、つまり終戦時に内閣総理大臣を務めた、日本の歴史上、重要な時期の行政TOPを任された人物でした。

※日本のいちばん長い日は原田眞人監督による2015年版もありますが、今回見たのは白黒映画の1967年版です。

1884年に海軍兵学校入学、そこから海軍一筋に歩み、1923年には海軍大将、1925年には海軍全体の作戦・指揮を統括する海軍軍令部長(海軍の最高位)にまで上りつめています。

その後、昭和天皇と貞明皇后のご希望により、陛下の側近である侍従長となっている。

この侍従長を8年間努めたなかで構築された、昭和天皇からの信頼が、終戦という決断に向けての大きな責任を負う、第42代内閣総理大臣を託された大きな要因の一つと思われます。

映画「日本のいちばん長い日」の中で描かれる鈴木総理大臣は、キャラクターとして控えめで、あまり目立たない役回りの印象でした。言葉数も少なく、血気盛んにいきり立つ、海軍大臣・陸軍大臣とは対照的で、意識しなかったら、本当に印象に残らないかもしれません。

リメイク版では、役所広司さん演じる、陸軍大臣「阿南惟幾(あなみ これちか)」氏の方が中心に描かれていますが、今回見たのは白黒映画の元祖「日本のいちばん長い日」だったので、鈴木総理大臣は本当にあまり目立たないキャラクターでした。

しかし、内閣のリーダーは内閣総理大臣です。

リーダーシップの基礎教育を行う我社としては、どうしてもリーダーという役割の人物に注目してしまうのです(笑)

そんなこともあり、休日をつかって、この気になる人物「鈴木貫太郎」について学ぼうと調べてみたら、なんと千葉県野田市に「鈴木貫太郎記念館」があることを発見!

鈴木貫太郎記念館

私の住んでいる埼玉県越谷市からは、車で40分程度なので、早速行ってみました!

※全然関係ありませんが、越谷市の工芸品「越谷だるま」は、何と全国のだるま生産量ランキングで2位なのです! 東武伊勢崎線の北越谷駅は、だるまを前面におしだした、アーティスティックな駅に改装されていますので、近くにいらっしゃる方は是非見てください。
https://www.tobu-yachida.co.jp/works/construction/detail.php?id=36

※行先の千葉県野田市は、お醤油づくりで有名です。
その為、お醤油製造に必要な和樽製造という伝統工芸品も盛んだったそうです。

話を戻します。

鈴木貫太郎記念館は、1963年(昭和38年)貫太郎翁が最後に住んでいた現在の千葉県野田市のご自宅に隣接する土地に建設されています。
https://www.city.noda.chiba.jp/shisetsu/bunka/1001064.html

開館記念式典は、銀座松坂屋で大々的に行われたそうです。

後援会の中心には、戦後の歴代総理大臣がずらりとそろい踏みしていました。

吉田茂、池田勇人、佐藤栄作これだけでも、いかに尊敬されるリーダーだったのかがうかがい知れることと思います。

記念館には、貴重な写真や展示物があるのですが、何と建物の老朽化(耐震性の問題)により、ほとんどの部分が今は見ることが出来ませんでした。また、立て直すための資金も乏しく、日本のいちばん長い日の中心にいた偉人の顕彰が途絶えそうな様は、残念でなりませんでした。

建設当時は、野田市の名物企業、お醤油で有名な「キッコーマン」さんが、なんと2,000万円(現在の価値に換算すると約2億円)もの寄付をしてくださり、無事に作ることが出来たそうです。

私が訪問した日は、たまたま野田市の学芸員の男性が、資料整備や、次の8/15に向けて、資料の再展示準備でいらっしゃっており、熱烈なプレゼンテーションをお聞きすることが出来、充実した時間となりました!

また、記念館には貫太郎翁の妻であるタカ夫人が、戦後にインタビューを受けた際の音源データもあり、当時の状況の壮絶さを感じることも出来ます。

貫太郎翁は、総理大臣を拝命する前は、侍従長を務めていたと書きましたが、その侍従長時代(1936年)にちょうど二・二六事件が発生して、自宅に将校たちが乗り込んできて、なんと拳銃の銃弾を五発も体に打ち込まれて、瀕死状態となったのですが、そこから奇跡の回復をはたし、生き延びたそうです。

ちなみに、その時撃ち込まれた銃弾の1個は生涯体の中にとどまったままだったそうで、お葬式で火葬された際、本当にその銃弾が出てきたそうです!!

68歳で銃弾を撃ち込まれ、そこから復活して、その後、77歳で内閣総理大臣となり、日本のいちばん長い日の中心で働かれた。

事をなす人の背景には、相応のドラマがあったのだと知って、人の一生の奥深さ、偉人の人生の壮絶さに、ただただ圧倒されました。

命がけで働く、口にするのは簡単ですが、実行することはまず出来ません。

たった80年前、私達現代人のおじいちゃんの世代は、ここまで壮絶な命がけの人生を送ってきたことにふれ、背筋が伸びる時間となりました。

これいい和で扱う伝統工芸品、その技術継承も今が瀬戸際と言われています。

100年、200年、長いものは1,000年以上の歴史をもつ伝統工芸品とその技術を、さらに100年後の日本にちゃんと残していきたい思いも、再確認できました。

歴史を学ぶのは楽しいですね。

たっぷり勉強した翌日は、感性磨きと称して、茨城県笠間市にある、茨城県陶芸美術館に立ち寄ってみました。

伝統工芸品の笠間焼だけでなく、陶磁器の歴史や、作風の進化、日本の陶芸家の作品が、ヨーロッパの陶磁器職人の作風に影響を与えた話など、色々と勉強になりました。

様々な作品の中で、一番印象的だった作品を一つだけ紹介します。

タイトル:命乞い  作家名:里中英人

この作品、見た目もネーミングも個性的で、なぜか惹かれます(笑)

気になる方はこちらのサイトをご覧ください。

http://www.reserch.tougei.museum.ibk.ed.jp/viewer/archive.html?id=563&g=125

最初は、戦国時代の落ち武者のような印象を受けたのですが、ず~と見ていると、なんだか愛くるしくなってきて、物なのになぜかかわいらしいアニメキャラクターを見ているような気分に、私はなってきました。

ピクサー映画に出演出来たら、かれらは「ディッシュブラザーズ」とかいう名前になって、夜のキッチンをナイトクラブにして、のりのりのダンスと演奏を披露してくれる、ちょい悪おやじ軍団にでもなりそうな気がしました(笑) ※勝手な妄想です。

茨城県陶芸美術館は、毎年、工芸展を開いているみたいで、歴代のポスター一覧も展示されていました。 元プロサッカー選手の中田英寿さんとコラボレーションした企画も2回開催されており、その時、芸術家の方々と共同で作製された作品も飾られていました。

芸術に触れた後、最後はおなかを満たすために日本料理屋さんへ!

この夏の暑さに負けない、強靭な体をつくるため、奮発して「うな重」を頂きました!

うなぎの頭の甘露煮は、骨まで柔らかく煮込まれていて、とても美味しかったです。

つづいて、背骨のから揚げ、触感と香ばしさで、おもわずビールが飲みたくなりましたが、あいにくのコロナ禍・・・酒類提供してもらえませんでした(涙)

前菜を楽しんだ後はメインディッシュの「うな重」です。

もう香ばしさと甘辛さと、ご飯の相性が最高です!

そして肝のお吸い物!

栄養満点の食事でおなかも満たされて大満足!

味もさることながら、やはり黒・朱の漆で装飾された器も、シンプルですが高級感を感じ、おもわず「これいい和~~~」と、ひとり呟きました。

今回は私の夏の思い出について紹介させていただきました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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